日本学術会議経済学委員会
樋口美雄委員長 殿
経済学委員会経済学分野の参照基準検討分科会
岩本康志委員長 殿
進化経済学会は、日本学術会議経済学委員会分科会で策定の作業を進められておられます「経済学分野の参照基準」の第三次素案修正案を拝見し、我が国の経済学の将来に関して少なからぬ危惧を抱いております。
まず、参照基準の基調をなす第二節「経済学分野の定義」において、以前の素案にあったL.ロビンズによる定義は外されこそしましたが、希少な資源を代替的な用途に合理的に配分する人間像を土台とした経済学を構築することは、経済学として自明なこととされている点は変わりがありません。もしも参照基準に求められることが、新古典派経済学を教えるためのカリキュラムのもとを作ることならば、それでも問題はないかもしれません。しかし、求められているのは、我が国の経済学の将来を担う層を育てるための経済学教育の参照基準であります。経済学の未来の可能性を、いかに現在有力とはいえ1つのフレームワーク内に閉じ込めてしまい、多様性の芽を摘み取ってしまえば、与えられた練習問題を器用に解く世代を生み出しても、フレームワークそのものを含めて新しい経済科学の大地を耕すような世代を生み出すことはなくなります。
それに続く第三節「経済学に固有の特性」におきましても、いくつかの違和感を禁じえません。「(1)経済学の方法」では、経済学が「実際のデータに基づいて当初の仮説の適否を論理的・統計的に検証するという、反証可能性に基づいた科学的手法」を用いていると書かれていますが、これは科学哲学から見ればきわめて古風な無理解としか思えません。この点は第四節(2)で、演繹・帰納と並べて論じられている部分で再び強調されています。第一節(3)で「人間の経済的な選択を予測する場合、人間は経済的なインセンティブに反応することが基本的な原理」と言い切り、それ以上は基本をふまえた拡張としてのみ理解しようという論調、さらに「市場メカニズムの有用性が世界の共通認識」であるから「経済学のこの特性は重要」という正当化は前節の論調をさらに際立たせています。社会のあるべき姿はパレート基準で測ることができると、経済学は本当に合意しているのでしょうか。「(2)経済学の体系」では、さらにはっきりと経済学の基礎理論としてミクロ経済学とマクロ経済学をおき、それ以上は応用と位置づけており、続く「(3)経済学の固有の問題点」では、制度分析や歴史分析には「標準的な理論的アプローチ」を軽視していることが問題として、それらをミクロ経済学・マクロ経済学の基礎の上にいかに統合するかを課題とし、経済統計やゲーム理論の適用によって統合する例が紹介されています。ここまでくると、経済学の歴史を、まるで経済学が従前の理論を包括的に取り込み、修正し、精緻化して進んでいく単線的な進化過程と見なしておられるのではないかと不安を覚えます。制度分析、歴史分析に数量分析が不足しているならば、それぞれの目的にとって適切な数量分析が開発されればよいはずで、それがミクロ・マクロ経済学の応用である論理的必然性などはありません。現在主流となっている経済学の土台を含めて、様々な経済学を俯瞰したところに立つメタ学問としての性質を持つ経済学説史が、1学派の応用分野になり下がったとき、はたしてその経済学説史に学問としての生命力は残されているのでしょうか。
続く第四節「経済学を学ぶすべての学生が身に付けることを目指すべき基本的な素養」の(1)ではこれまでの主張がさらに強められ、「社会人」の常識として「利己的・機会主義的経済主体を前提として、経済システム、特に資本主義的市場経済システムを経済合理的観点から論理的に分析する」ことを求めています。理解できない場合には「日常生活を営むにあたってさまざまな不利益を受ける危険がある」とまで述べておられます。そして「一般職業人」の日常生活や意思決定に役立つものとして、ミクロ経済学の練習問題として頻出するトピックを具体的に挙げておられます。経済学の内部からみてさえ特殊なアプローチが社会人の実践的常識であると言い切ることへの違和感を禁じえません。この節の(2)ではコミュニケーション能力に言及し、末尾には「さまざまな経済事情や異文化理解し、異なる価値観を受け入れ、世界全体の発展のために市民として果たす役割」にも言及されていますが、様々な問題を「経済学の多くが解いている制約条件付最適化問題」と理解してしまうことの狭隘さが、コミュニケーションや異文化理解の妨げになるとはお考えにならないのでしょうか。
第六節の最後にこの参照基準が「経済学を専攻せずに教養として経済学を学ぶ学生が獲得すべき経済学の基本的な知識と理解ともなるべきもの」と明言されているのに対し、上のような内容は、極めて進路限定的ではないでしょうか。
環境とその変化のありかたを見渡すことができない人間にとって、また人類の学問にとって、多様性こそ新たな適応と進化の源泉であります。我が国の経済学をめぐる環境は、幸いなことにこれまで多様性の土壌を維持してきたように思います。ただでさえ様々な面で厳しくなっている学問追求の環境を、自分たちの手で悪化させる愚は避けるべきです。どうかすでに枯れかけた他国の基準を参照して我が国の大学教育の豊かな土壌を損なうことのないよう、慎重なご配慮をお願いいたします。
経済学を行き止まりの学問にしてはなりません。
2013年11月5日公開
進化経済学会理事会